『箱根板橋日記』毎週火曜更新|長嶺 俊也 Nagamine, Shunya デザイナー 1979年生まれ         


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第11回 「バスタオルの真実。」 2013年2月26日

 相変わらず寒い日が続いている。

 あまりにも寒い日が続くので、乾燥機のない我が家では、先日ついに「バスタオルの枯渇」という問題が起きてしまった。

 まあ、忙しくてついつい洗濯を後回しにしてしまったという内的要因は完全に無視しているが、こう寒いとどうしても洗濯物の乾く速度が落ちるのも本当で、もう乾いたかなと思って手にとってみると、下の方はまだ十分にびしゃびしゃで、不意にびしゃびしゃなタオルを触るのは意外と嫌な気分で、かくして、乾いたかのチェックもだんだんおろそかになり、どんどんと加速度的にバスタオルの回転スピードが落ち、その結果、供給がついに需要に応えられなくなり、市場から品物が、じゃなかった、タオルかごからバスタオルが消えたというわけなのだ。

 そこで、その日はしょうがなく普通のタオルで代用した。しかし、使ってみてわかったのだが、結構普通サイズでもイケル。

 何がイケルかと言うと、ようは「拭けちゃう」のである。

 そういえば昔、子どもの頃はバスタオルなど使っていなかった。

 夏休みに祖父の家に遊びに行き、祖父と一緒に風呂に入ると、祖父は風呂から上がる時に、身体を洗った普通サイズのタオルを濯いで固く絞り、それでカラダを拭き、途中でタオルがびしょびしょになったら、その度にギュッとしぼって、さらにゴシゴシと拭くのだと教えられたのがカルチャーショックで、その後同じように僕まで強引に同じタオルでゴシゴシやられたのが子ども心にも少し嫌だったのを思い出した。

 そんな事を思い出していて、ふと気づいたのだが、これとは逆にバスタオルというやつは、拭き終わった後でもかなりの確率で、『濡れていない部分』というのが存在する。

 通常ならその部分は統計学的大人一人当たりのタオル使用面積以上の余剰生産分と考えられ、これは完全に設計ミスであり、当然消費者心理の中でコストパフォーマンスに影響してくるであろうから、普通であればもったいないから買わないという事になるはずである。

 それにも関わらず、これだけ当たり前にみんなが最後まで濡れもしない無駄な部分を持ったあのバカデカタオルを贅沢に使っているというのは、考えてみるとどうもおかしい。

 もしかしたらバスタオルというのは実はかなり過剰な大きさで、真実を知る人などから見たら随分と滑稽な代物で、離れた所から冷ややかな目で見られたりしている存在なのではないだろうか。

 もしくは、タオル業界はそれを知りつつ、消費者にはひた隠しにし、高度成長期に大きな事は良い事なのだと刷り込み、お歳暮の度にバスタオルを贈らせて必要以上に大きなタオルを湯水のように使うという快楽を憶えさせ、人々を思考停止状態にまで堕落させ、儲け続けているのかもしれない。

 ということは、もしかしたら今この瞬間も私はタオル業界に踊らされて、バスタオルを腰にまいて得意になっている裸の王様状態になってしまっているのかもしれない。マズイ。こうしてはいられないのだ。王様、真実を知らなければいけない。

 それには、「はたしてバスタオルには本当にその存在の意味があるのか」、というその存在すらを問う根源的な問いの答えを突き止める必要がある。

 そこで私はこの一週間、この問いと正面から向き合い、仕事のあい間あい間、食事中にテレビを見ながらボーっと箸を舐めている時、トイレでボンヤリしている時間などひたすらに考え続け、今回一応の決着を見たので、ここでみなさんにその真理とも言える答えをお伝えしたいと思う。
 
 結論から言おう。

 「バスタオルに意味はある。」

 もう一度言おう。

 「バスタオルに意味はあったのだ。」

 この答えに私が辿り着いた時の事を話そう。

 それは、私が風呂上がりの脱衣場でカラダを拭いていた時の事だ。やはり解決の糸口は現場にある。現場100回の精神なのだ。

 その時私はバスタオルを見つめながら、あるひとつの疑問に直面していた。

 「あれ、俺今どの部分でケツを拭いたっけ。」

 そうなのだ、顔を拭く前にケツを拭いてしまい、その流れであやうく顔を拭いてしまいそうになってしまったのだ。あぶなかった。

 しかし、気づいたのは良いものの、いくらバスタオルを眺めてもさすがに風呂上がりのケツを拭いた決定的な痕跡は見つからない。

 そして、ウームと唸ったその瞬間、ついに私は今回のこの問いの答がわかってしまったのだ。

 例の『濡れていない部分』で顔を拭けば良いのだ。

 そう、バスタオルのあの『拭き終わったあとも濡れていない部分』は、ケツと顔を拭く順番をうっかり間違えてしまった紳士のために、タオル業界が保険として用意した、エチケット・セーフティー・ネットだったのだ。

 ……。

 ああ、今回はこんなくだらない話でいつもよりだいぶ文字数をオーバーしてしまった。恥ずかしいなあ。 

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by nagamineshunya | 2013-02-26 11:11 | 箱根板橋日記