『箱根板橋日記』毎週火曜更新|長嶺 俊也 Nagamine, Shunya デザイナー 1979年生まれ         


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第14回 「裸電球が風に揺れる」 2013年3月19日

 学生の頃はとにかく貧乏だった。

ぼくは、十九から二十一にかけての二年間、三鷹のアパートで友達と三人で共同生活を送っていた。

金がないので、バイトに行く電車賃にも困る。結局バイト先の店長にお金を借りて帰ったこともある。

もちろん喉が渇いたからと言ってジュースも買えないし、冬は冷えるからと言ってもカーテンも買えなかった。リサイクルショップで三千円で買って来た緑色の東京芝浦製の扇風機は『強』にすると自分の風力にたえられず後ろに倒れてしまったし、食事も二日でスパゲッティーを200グラムのみで具は無しという事もしょっちゅうだった。

しかし、なぜか酒だけは本当によく呑んでいた。

男の三人暮らしというのは、女性からすると阿鼻叫喚状態だろうが、青年達(自分で言っちゃう)には一つの憧れで、いきおい仲間がよく集まり、実家に住んでいたり、すでに就職した連中は酒をよく手みやげに恵んでくれた。

だんだんわかってくると、みんな手みやげはとりあえずウォッカ、ジン、テキーラの三本と自然に決まった。理由は一番手っ取り早く酔っぱらえるから。

さらにバーボンや焼酎など、安くてアルコール度数25度以上の酒ならばなんでも良しという感じであった。ワインなどは少しバカにされていたね。

それらをとにかくなんでも全部ロックで飲む。理由は手っ取り早く酔っぱらえるから。おかげで僕は今でも水割りやウーロンハイが飲めない。ジンロもロックだ。甘くて意外とイケルので試してほしい。

酒だけはこのように潤沢な酒盛りだが、つまみはなし。それは、ぼくが「飯より酒」と、みんなに強く言い聞かしていたからである。

そのせいで、基本は山葵や、塩や、醤油を舐めて飲んでいた。台所のはしに萎びたクズ野菜などがうっかり隠れていたら大騒ぎで、その日は「クズ野菜の炒め物、ソルト仕立て」なんて言う高級料理で飲めたが、基本はゼロ。ひどいやつになると、自分の親指をシャブリながら飲んでいた。(これは嘘)

たまに「飯より酒」のお達しを知らずに、気を利かせて6Pチーズなんかを買って来る新参者などがいると、それをチビチビかじりながら、グビリと強い酒をあおる。うまかったなあ。裸電球が風に揺れていた。

友達もみんな大酒を飲むやつらばかりなので、買って来る酒の量もハンパじゃなかった(酒呑みにとって途中で酒がなくなる事は、この世が終わるくらいコワイ)。例えば三人で飲む時は、ウォッカ、ジン、テキーラ、バーボン、焼酎、ワイン白赤、それに当時発売したばかりの発泡酒の500mlを1ダースを、とりあえずといった感じで買って来る。さすがにすべては飲みきれないので。だからその残った分は普段の生活でありがたく飲みつなぐ。そうして一週間するとまた誰かが来てくれる。

午後の三時頃に仲間が到着し、「やあやあ、それでは」なんていって飲みはじめ、そのまま朝迄飲んで、今度は朝日が気持ちよいから、爽やかなものをもてい!と、またアルコールの弱い順に飲み直し、昼頃にはまた本格的な飲みに突入し、夜は送っていきがてら井の頭公園まで酒を持って行き、そこでも飲んで現地解散、なんて言う無茶苦茶な事もやっていた。

時間と体力と話す事だけはとにかくあったのだ。

思えば、あの頃がある意味本当にぼくにとっての『黄金時代』だったのだろうなあと、振り返ってしみじみと思うのである。

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by nagamineshunya | 2013-03-19 08:54 | 箱根板橋日記