『箱根板橋日記』毎週火曜更新|長嶺 俊也 Nagamine, Shunya デザイナー 1979年生まれ         


by nagamineshunya

プロフィールを見る
画像一覧

S M T W T F S
1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30

最新の記事

 第70回 「さて、最終回。..
at 2014-04-15 20:04
第69回 「無印家電と男と昭..
at 2014-04-08 20:31
第68回 「国家予算規模のお..
at 2014-04-02 19:57
第67回 「お墓のデザイン」..
at 2014-03-25 18:25
第66回 「お墓参り教のスス..
at 2014-03-18 21:13

カテゴリ

全体
箱根板橋日記
未分類

関連

以前の記事

2014年 04月
2014年 03月
2014年 02月
2014年 01月
2013年 12月
2013年 11月
2013年 10月
2013年 09月
2013年 08月
2013年 07月
2013年 06月
2013年 05月
2013年 04月
2013年 03月
2013年 02月
2013年 01月
2012年 12月

フォロー中のブログ

ニューヨークの遊び方
パリときどきバブー  f...
ばーさんがじーさんに作る食卓
ベルリン中央駅
フィレンツェ田舎生活便り2
犬とご飯と雑貨。
勇気リン凜

最新のトラックバック

検索

その他のジャンル

ブログパーツ

外部リンク

ファン

画像一覧

第43回 「秋の蚊」 2013年10月8日

 もう10月に入って一週間も経ったと言うのに、蚊に刺された。

 車の中でふたりきりになってしまい、こちらは運転しているのだから逃げ場がない。

 一応、窓を全開にして外に出してしまおうと試みたが、この作戦はまったくうまくいかないようなので早めに断念して、諦める事にした。

 蚊に気を取られて事故るぐらいなら、刺された方がましだ。

 今回は奴の作戦勝ち、完敗なのだ。

 ドアをしめて、エンジンをかけて走りはじめた時点で勝負は決まっていたのだ。

 そうして諦めて無抵抗で運転していたら、右の首筋、右腕、左外くるぶし×3、あげくには左デコと、ここぞとばかりに馬鹿みたいに吸いやがって、まったくみっともない。お前には節操という言葉はないのか!さもしいやつめ。

 こっちはまな板の鯉のようにすでに諦めて横たわっているのだから、もう少し手加減して、「じゃ、今回はこれぐらいで。後は結構ですので、またお願いします」ぐらいの事が言えないのか!

 せめて、顔はやめて。


 話しが変わるが、今朝起きて、うだうだしている間、寝そべったまま枕元の本棚を見回し、久しぶりに目に入った星野道夫さんの「旅をする木」を、えいやっとそのまま布団の中から手を伸ばして引っ張りだした。

 少し開けた窓から感じる、外の朝の気配を感じながら、なんとなくパラパラと飛ばし読みしていた。

 星野さんは、友人のブッシュ・パイロットと北極圏ブルックス山脈を流れるコンガクットという川の上流にいた。

 アラスカの最北の山の中だ。

 状況は離陸に失敗しツンドラに機種を突っ込み、その友人の愛機であるセスナ175のプロペラが曲がってしまい飛べなくなってしまったという最悪の状況。

 少し戻って、章の名前を見てみたら「白夜」というタイトルだった。

 一文目はこうある。

 「ドン、出かけよう。こんないい夜を逃す手はないよ」※ドン=友人のブッシュ・パイロット

 「そうするか、考えたってどうしようもないもんな」

 ふたりの会話である。

 普通ならここから脱出するための会話のように感じるが、実はこの後ふたりは山に登る。

 理由は、「素晴らしい夜だから」。

 そして、バラしてしまうけれど、この後ふたりはこの旅の目的であったカリブーの大群に偶然遭遇する。
 
 山を歩きながら星野さんが考えている事、感じた事、五感で得た感覚、そしてなにより星野さんが見ているアラスカの風景が読み手に感じられる。

 なんだか、まるで自分に星野さんが降りてきている様な感覚だ。

 いたこ読書。

 印象的な一言があった。

 「ぼくはドンが好きだった。どこか、ひとつの人生を降りてしまった者がもつ、ある優しさがあった。」

 間違いを恐れずに言ってしまえば、ひとつの人生というのは「社会」の事だと思う。

 今のメインストリームの社会には、物質とか、現代とか、資本主義とか、大体そう言った経済に関するような枕がつけられる。

 つまり、さらに間違っててもいいやって思って言ってしまうと、一番人間の社会の中で大きく扱われているのは経済である。

 ぼくらは(多分大概の人が)経済の中で生きている。というか、それはすでに人と同化していて、人がいる場所には同義としてというレベルで同時に経済が存在してしまうのかもしれない。

 では、それを降りるとはどういう事か。



 これは関わり方を表した、いい言い方だなと思う。

 男らしくサッパリとしていて、相手に距離と敬意をしっかりと印象づける。

「経済は俺の体の中にも流れているが、俺には他にやる事がある。」と言っているように聞こえる。

 現代の社会に自分がマッチしていない事を、恨むでもなく、所為にするでもなく、「降りたよ」と言って離れていく。

 そういう人間に星野さんが感じ取った「ある優しさ」があるというのはなんとなく想像出来る。

 そして、その優しさは星野さんの写真や文章、そして表情や風貌からも感じられる。

 類は友を呼ぶのだろう。



 今回は少し長いけど、思いついた事があるのでまた話を変える。

 この「降りる」というのに似て非なるものの中に「諦める」というのがある。

 いつそれを思ったのかというと、今朝、味噌汁を作ろうと思った時だ。

 ぼくは味噌汁には必ず下田豆腐店の油揚げを入れる。

 この油揚げの出汁が大変うまいので、絶対欠かせないのだ。

 
 この油揚げはスーパーに売っている軟弱なやつちがうので、ちゃんと油抜きが必要だ。 

 ぼくはいつも無精をして、まな板に冷凍保存していた油揚げをそのままのせて、ガス給湯器の温度を一番高いところにした熱湯を直接かけて
 油抜きしている。

 その時思ってしまったのだね。

 この給湯器はこの家の前の住人からのおさがりだけど、このノズルや、ホースのところというのは目下どういう状態なのだろうかと。

 油揚げの油抜きをしながら、うーむ、とうなってしまった。

 そうなると水道もヤバいし、さらには水道管なんてキャー!

 即座に考えるのをやめましたね。

 こうして、社会に生きる僕らは、常にたくさんのものを諦めて生きているのだ。

 そして、多分我々日本人がそうして考えるのをとりあえずやめにしている大きなモノの中に、「福島原発の事故の被害」というものがあるだろう。


[PR]
by nagamineshunya | 2013-10-08 10:11 | 箱根板橋日記