『箱根板橋日記』毎週火曜更新|長嶺 俊也 Nagamine, Shunya デザイナー 1979年生まれ         


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第60回 「千利休の秘密」 2014年2月4日

 前々回のブログで、千利休について少しふれた。

 利休は現代的に解釈すると、アートディレクターのようだったというはなしだが、実にいろいろなことをしていた。

 肩書きでいえば、アートディレクターの他に、デザイナー、イベントプロデューサー、演出家、さらに内閣官房副長官といったところだろうか。

 もちろん、お茶の家元(三千家の家元の祖先)でもあるから、一人で何役もこなす、スーパークリエイターであった。

 生まれたのは1522年、亡くなったのが1591年、戦国時代から安土桃山時代を生きた。

 つまり乱世の世に生まれ、まさに混沌というべき世を生きた。

 千利休の本名は、「田中与四郎」といい、神戸の魚屋に生まれる。

 といっても、この魚屋は利休の父親が始めたもので、祖父はというと「千阿弥(せんあみ)」といい、室町幕府八代将軍、足利義政の同朋衆だったそうだ。

 同朋衆というのは、将軍や、大名の側近にあって、芸能、茶事、雑役を努めた僧体の者で、号は阿弥と呼ばれる。

 つまり、利休のおじいさんが「千」を名乗っていたということだ。

 利休の父親も、商売をする時は父にならって「千」に直していたそうだ。

 しかし、すぐに千利休と名乗るわけではなく、その後は、千宗易と名乗る。

 実は利休という名は居士号で、これは織田信長、豊臣秀吉の茶頭(貴人に使えて茶事を司った茶の師匠)をつとめ、出世した後に禁中茶会(皇居での茶会)に出席するために天皇から与えられた名前なのである(町民の身分では参内できなかった)。

 なので、名乗った時間は宗易の方が長い。

 もうひとつ、利休が名乗った面白い名前がある。

 「抛筌斎(ほうせんさい)」という名である。

 「筌」とは竹製の漁具の意味で、「抛」は投げ捨てるという意味。

 これだけ聞くと、家業の魚屋を放り出して、茶の道に生きた者であると名乗ったように感じて、まるで「茶の湯とはただ湯をわかし茶をたててのむだけだ」(利休道歌)とつぶやく、仙人のような利休が目に浮かぶようである。

 しかし、実際は利休は現存している甲冑から身長180センチの巨躯で、若くして茶の道に入り、師匠とともに積極的に茶の湯の改革に取り組みながらも、家業の商人も捨てずにその後も商人でもあり続けたらしいのだ。

 その辺りに、スーパークリエイターであった千利休の「秘密」があるように感じるのである。




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by nagamineshunya | 2014-02-04 20:19 | 箱根板橋日記