『箱根板橋日記』毎週火曜更新|長嶺 俊也 Nagamine, Shunya デザイナー 1979年生まれ         


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第62回 「弁当メディア論」 2014年2月18日

 「PEN」(雑誌)の弁当特集を買った。

 小山薫堂さんが、この号に協力した関係でラジオで色々話しているのを聞いて気になっていたのだ。

 おにぎりから、高級割烹の弁当、うなぎに、中華に、鯖寿司に、カツサンド。

 シューマイ、ロケ弁、空弁、すき焼き、焼肉、幕の内。

 カレーに、牛タン、オムライス、穴子に、くじらに・・・と、とてもじゃないけど書ききれない。

 よくもまあ、こんなにあるものだと、感心してしまった。



 そのラジオで薫堂さんが、弁当というのは「弁えて(そなえて)用に当てる」という意味だと言っていた。

 なるほど、その本質は「あとで腹が減るだろうから持っていく」というのにつきるだろう。

 僕自身はできたて熱々が好きなのと、できあいの味付けが苦手なので、正直最近はあまり外で弁当を買って食べたりはせずに、多少腹が減っても我慢してしまう。

 学生の頃は、前の日の晩ご飯に豚小間ともやしのショウガ炒めを大量につくって、次の日の朝と、弁当とすべて白米とそれのみで勝負していくということをよくやっていた。

 まだ若く貧乏で、いつも腹をすかしていたのでそんな弁当でも、感動的にうまかったのを憶えている。

 とにかく自分で弁当をもってくれば、どこでもタダみたいな材料費で腹一杯食べられるのもうれしかった。


 弁当というのはそうした極個人的なサバイバル的弁当から、最近は愛妻弁当に取って代わったキャラ弁のような家庭もの、それから各飲食店や、施設、さらには地方の名物まで、本当に様々で、見ているだけで面白い。


 それらの弁当を見ていて思ったのだが、どうも弁当にはつくる人の「気持ち」が見える。

 これは何も家庭のお弁当だけではなく、お店のお弁当からも感じる場合がある。

 色々な作り手の気持ちが、その弁当をよく見ていると伝わってくるのだ。

 弁当が主張しているのだ。

 「フタを明けた時に驚いてもらいたい」、「この香りを届けたい」、「コレとコレを一緒に食べたら美味しい」、「お腹いっぱいになってもいたい」、「アレもコレも全部食べさせたい」など、制作者の言わんとしていることが、ビンビンと伝わってくるようだ。

 これは、箱という限られたスペース(または携帯することが出来るカタチやサイズ)が、逆にコンセプトを絞り込ませ、明確に伝わることに役立っているのだろう。

 我が子に伝えたい、愛する人に伝えたい、いつも買ってくれるあの人に伝えたい、観光客に伝えたい、まだ見ぬ世の中全ての人に伝えたい。

 それぞれの「伝えたい」が、弁当箱の中につまっているのだ。

 そして、それはその人の手に届き、五感を刺激し、体内に入り込み、経験は記憶に蓄積される。

 つまり、弁当というのは、「弁えて(そなえて)用に当てる」という時代はとうに過ぎ去り、今やなかなか強力な「メディア」のひとつになったのだ。

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by nagamineshunya | 2014-02-18 19:51 | 箱根板橋日記