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『箱根板橋日記』毎週火曜更新|長嶺 俊也 Nagamine, Shunya デザイナー 1979年生まれ         


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第20回 「元スパイのゴールデンウィーク」 2013年4月30日

  はやいもので、四月も今日で最後である。

 ちまたではすでにゴールデンウィークがはじまっている。

 今年は四月二十七日の土曜日から計算し、五月六日の日曜日までがゴールデンウィークという事になっているらしい。

 ただし、間に四月三十日から五月二日の三日間平日を挟んでいて、さすがに三日間ともなるとそこを全部有給で埋めてというわけにはいかずに飛び石連休となる人が多く、結果海外よりも国内旅行が増えるだろうという予測のようだ。

 これにはアベノミクスによる円安の影響もあるようで、海外旅行好きの人には気の毒だが国内の経済にとってはまさしく「ゴールデン」な時期になるのではないだろうか。

 僕は、普段からこうした時期には極力外に出ないようにしている。

 なぜかというと、「並ぶの嫌い・人ごみ嫌い・天の邪鬼」と、三拍子揃っているので、みんなが出かける時は家に居て、誰も出かけないような時に出かけて行って、誰もいない空間を独り占めする事に無上の快感を感じるのだ。
 
 ニュースで、帰省ラッシュの高速道路のナイル川並みに続く渋滞の空撮映像なんかを見ると、「ムフッ、愚かよのう」なんて、ひとりほくそ笑んでいる。

 とにかく、クリスマス、お正月、ゴールデンウィーク、お盆休暇など、民族大移動のような時期には、絶対に巻き込まれない様に家でじっとしている。

 気をつけなければいけないのは振り替え休日というやつで、これは、もとより曜日に縁のない生活をしているので、気づかずにうっかり外出してしまい、大体そういう時は連休最終日でひどい目にあった事が何度かある。

 では、ゴールデンウィークには何をしているかというと、大抵仕事をしているか、DVDで映画を観ているか、酒を呑んでいるかで、まあ、つまりはいつもと変わらない生活を送っている。

 どっちが愚かだ、という意見は今は受け付けない。

 最近は、ツタヤの宅配のレンタルサービスというのを利用しているので、常に何かしらのDVDが家にあり、時間が出来たらすぐにそれを観ればいいので便利だ。

 自分で観たい映画をインターネットのホームページで片っ端から選んでリストに入れておけば、あとは在庫があるものから選んで送ってくれる。

 一回に送られてくる分は二枚で、家の郵便受けに入ってくる。

 僕の場合は一ヶ月に4枚借りられて、月額でたしか千円位のコース。

 忙しいと一ヶ月に一枚も観るひまがないなんていう事もざらだけど、延滞料はかからないので気が楽である。

 その間も、月額のお金は払っているからもったいないのだけで、借りられなかった分はちゃんと次の月に繰り越されて行くので文句はない。

 見終わったら郵便ポストに入れれば良いだけ、我が家の場合、家の向かいにポストがあるので本当に便利なのだ。

 最近は映画以外に、アメリカの元スパイが主人公の「バーン・ノーティス 元スパイの逆襲」という連続テレビドラマにハマっている。

 最初はテレビの深夜放送で観たのだが、ママに弱いが腕は超一流の元スパイ、その元恋人でセクシーだけどキレやすい腕利きの元工作員、元海軍所属のスパイで女好きな相棒と、それぞれキャラも立っていて、展開もテンポが良く、なにしろ話単純でわかりやすくて明るいのがいい。

 主人公の見た目がなんとなくルパン三世に似ているのだが、ちゃんと吹き替えがルパンの声の栗田貫一さんで、その辺も中々わかっているのだ。

 この手の作品というのは、吹き替えで楽しむと、とことん脳味噌を使わなくても十分楽しめて、リフレッシュには誠に都合がいいので、声優は非常に重要なポイントなのだ。 

 しかしである。

 この間、続きを借りようと、過去の借りたリストを確認していて、おかしな事に気づいてしまった。

 僕は今の所そのドラマを三枚借りて観たのだが、レンタル済みのリストに、「シーズン1 vol.1」、「シーズン2 vol.2」、「シーズン3 vol.3」とあったのだ。

 おー!なんてこったなのだ。

 この手の連続テレビドラマに詳しい人はすでにお気づきだと思うのだが、こういう連続ドラマにはシーズンという一連のシリーズがあり、そのシリーズ毎に一応の起承転結のようなものがある。

 どうやら僕はご丁寧にそのシリーズをすっ飛ばして1、2、3と順番に観ていたのだ。しかも、それに今までまったく気がつかなかった。

 そんな借り方をする僕も僕だが、そんな見方をしてもまったく話に違和感がない連続ドラマというのも一体どうなっているのだ。

 まあ、面白いからいいのだが、なんだか自らのアホさを再確認してしまった気がしてうすら寂しい気持ちになってしまった。

 寂しいと言えば、ゴールデンウィークというのを調べてみたら、名付け親は大映の当時常務取締役であった松山英夫さんという方で、1952年頃から使われはじめた映画業界の宣伝用語なのだそうだ。

 大映はこの時、これに続いて秋の文化の日の近辺の連休をシルバーウィークと名付けたが、これは定着しなかったらしい。うーむ、なんだか寂しい。

 シルバーウィークじゃ老人の日みたいで、なんか家でゆっくりしたくなっちゃうもんね。

 とにかく、今年のゴールデン・ウィークは元スパイになって、マイアミで自分を解雇した黒幕を突き止めたいと思っている。

by nagamineshunya | 2013-04-30 08:10 | 箱根板橋日記

第19回 「ハングリー精神と最高の晩酌」 2013年4月23日

 若い頃は、どうも「ハングリー精神」のことを、「天才は往往にして中々社会一般の評価を得られず、経済的に貧乏な状況に陥りやすく、常にお腹が空いているけどストイックにがんばる事」と、勘違いしていた気がする。

 若いバカというのは恐ろしい生き物で、そうなると貧乏や、空腹を肯定的に捉えはじめ、やがてそれが正義になる。

 ちゃんとバイトに精を出し、実入りのある人間を「このブルジョワめ!」などと激しく罵倒し、綱紀粛正という名の集り(たかり)をくり返したりする。

立派な狂信的恐喝である。

 
 ハングリーといえば、最近料理にハマっている。といえば、と言うほどでもないか。

 まあ、他に書くこともないのでかまわずに続けるが、食事は毎日2~3回はする物なので、ハマろうがハマるまいがその度に今までも料理はしていた。

 しかし、今回わざわざハマったというからには今までとは少し事情がちがうのだ。

 どうちがうかと言うと、大根の千切りをしていると楽しいのだ。

 絹さやのスジを取っていると心が落ち着くのだ。

 なんだか優しい気持ちになってきて、新玉ネギなんかがカワイク見えて来たりするのだ。(オレ、ちょっとあぶないかなぁ)

 ま、つまり恥ずかしながらどうも僕の趣味は、料理らしいぞという事を自覚してしまったというわけなのだ。
 
 
 『趣味の料理』に目覚めてからの僕の課題は、いかに最高の晩酌をプロデュースするかという事で、その献立はその日の昼前、大体十一時半位からすでに考えはじめている。

 すでにメインが決まっていたり、飲みたいお酒が決まっていたり、朝市に行った日は仕入れとにらみ合いながらと、常に状況はバラバラだが、気持ちはすでに約十時間後の最高の晩酌の実現のために燃えている。

 自宅を仕事場にしてデザインを作っているので、急ぎのプロジェクトや、打ち合わせで遅くなったりしない限り、夜八時の終業時刻後から料理をはじめる。

 と言っても、まずは洗い物から。

 これは、関係のない作業を挟む事で、脳を一度リセットし、仕事から料理へと気持ちを切り替え、最高の晩酌をプロデュースするために集中力を高める大切な儀式なのだ。

 洗い物が終わったら料理スタートだが、ここでもいきなり包丁は握らない。

 まずは段取りを考える。最高の晩酌のために重要なのは、この「段取り」であると言っても過言ではない。

 料理を一番美味しい状態で味わうために、温かいものは温かく、サラダはシャキッと冷たい内に、唐揚げはカリッと揚げたて熱々で、ビールはもちろんキリッと冷え冷え。すべてを最高の状態で食卓に並べ、同時に自分の尻も椅子につけるというのは中々容易な事ではないからだ。

 あらゆる事を計算しつくし、段取り通りにスムーズに事が運ぶ様、食器や調味料などの準備をしていく。ここを間違えるとすべてが台無しになってしまうので、一番神経を使う所なのだ。

 なので、僕の力量では最初にだせるメニューはサラダを入れて三品くらいが限界。少し食べて落ち着いて来てから、途中で一品、二品を追加する事が多い。これも下ごしらえ迄は最初にしておいて、すぐに出来あがるように準備しておく。そうすれば、場が途中で途切れる事もない。

 何度も言うが、最高の晩酌を楽しむためには、段取りが一番大事なのだ。

 お酒はビールからはじまって、日本酒かワインをその日の料理によって用意しておく。

 最高の晩酌のためのメニューや酒類は、その日の気温などによっても影響されるので、日々天気のチェックも欠かせない。まったく気が抜けないのだ。
  

 小説家のジョン・アーヴィングが何かのあとがきで、「料理はクリエイティブなのに、プロセスをキチッと守ればちゃんと結果が返って来る所がいい」、というような事を言っていた覚えがある。だから、原稿書きの息抜きにちょうどいいというような話だった気がする。

 カッコイイ言い方なので、僕も同感だという事を強く言っておきたい。もっとも、僕の場合は趣味の合間に仕事をしてると言われかねないが。


 ハングリー精神へ憧れていた眩しいほどハツラツとしたあの頃の自分はすでに消えてなくなってしまい、今や「自分へのご褒美」「馬の鼻先に人参」「快楽主義」という言葉を日々実践しているオジサンが僕なのだが、ま、それでも今夜もこうして美味しい晩酌が楽しめたのだから、本日も我が人生はとりあえず良かったのではあんめーか、などと思うのであった。

by nagamineshunya | 2013-04-23 12:25 | 箱根板橋日記

第18回 「朝の音」 2013年4月16日

 朝、台所に立って洗い物をしていたら、妻が来て「なんで手品の曲?」と聞いて来た。

 ちょうどポール・モーリア特集で、例のチャラチャ チャラチャ〜って言うのが流れていたんだな。

 無意識で聞いていたけど、なるほど意識して聴いてみたら、朝からポール・モーリアの連続攻撃はあまりよろしくない。

 なんだか黄昏れてきてしまって、洗い物をしながら物思いに耽ってしまい、しまいには途中で「キュッ」と蛇口を止めて、「はぁ。」なんてため息ついてしまいそうだ。

 
 朝はどんな曲がいいのだろう。

 僕は、毎朝起きたら台所へ行き、まずラジオのスイッチを入れる。昔、キャンプ用に買ったSONYのポータブルラジオで、色は赤茶。

 特にひいきの番組やDJはいないが、台所に立っている時はとにかくラジオと決めている。

 ラジオをかけると、「よし、今日もやるぞ」と、生活へのパワーが体の中からわいて来るのだ。なぜだかはわからないが、そうなのだ。

 その間に乾かしておいた食器を仕舞って、お湯が沸いたら、湯のみ一杯の白湯を飲みながら、昨日の晩の洗い物をする。

 それが終わったら、流しのゴミなんかをまとめて捨てて、その日収集されるゴミをゴミ収集所に出しに行く。

 それから、月兎印の白い琺瑯のポットで二階のアイビーなどの緑たちにまず水をやり、それからそのままポットを持って外に出る。

 玄関を出た所に、レモン、ミカン、月桂樹、ブルーベリー、ミニ薔薇と、普通のバラ、名前を忘れてしまったかすみ草のようだけど黄色い花、金のなる木(あれは正式名称はなんていうのだろうか)、寄せ植えの花たちに、種から育ててるバジル、最近はカーネーションも仲間入りした。外の水道と、鉢植えを四往復ぐらいしながら、鉢植えたちに順々に水をやっていく。

 最後に、仕事場にある多肉植物の寄せ植えの様子もチェックする。これはお花屋さんから引っ越し祝いにいただいた。

 月兎印の琺瑯ポットは、もう、めっきり水やり専用になってしまった。

 月水金は、うちから歩いて20秒ほどのところにある、小さなJAの前で開かれる朝市に行って、まさしく朝どれの新鮮な野菜を買って来る。

 家に戻って来たら、朝食の準備をはじめる。献立は、味噌汁を飲みたいか、スープを飲みたいかで、和にするか洋にするかを決める。

 料理ができたら、お盆にのせ、二階の居間に配膳。その間、ずっとラジオのスイッチは入っている。ラジオから離れても、体の中では流れている、感じがする。

 
 朝は、ラジオがいい。ボサノバも、クラシックも、サンバも、ロックも、色々それぞれ朝にいい曲はあると思うけど、ラジオから聞こえて来たらもっと最高だ。

 つまり、僕の場合、朝に良い曲ではなくて、朝に良い音なんだな。

 洗い物の泡を流す音。食器がぶつかる音。お湯が沸くやかんの音。外で吠える犬の元気な声。水道からポットに勢い良く入る水の音。

 そんな朝の音たちと、ちょっとどころか、だいぶノイズの混ざったポータブルラジオの音がぴったりなんだな。

by nagamineshunya | 2013-04-16 19:17 | 箱根板橋日記

第17回 「高校球児とパートのおばちゃん」 2013年4月9日

  朝、台所で洗いものをしながらラジオを聞いていたら、オジサンDJが「例えば高校球児がグラウンドから出る時に、グラウンドに向かって一礼したりするような、そういう事を、きちんと出来ないヤツはダメだと思う。」と、世の中に向かって実にオジサンらしく吠えていた。

 ふむ、実際冷静に考えると、グラウンドにお辞儀して何の意味があるのだろうと思ってしまうが、僕もオジサンなので、このオジサンDJの気持ちはなんとなくわかる。しかし、それでふと思い出した事がある。

 それはスーパーで買い物をしていた時の事である。

 パートのおばさんが僕の前を足早に横切って行き、バックヤードへの両開きの扉の前でクルッ、とこちらへ向き直り、サッとお辞儀をしたのだ。クルッ、サッ、である。

 僕は一瞬なにをしているのかわからなかったが、ようはそれはさっきの話の高校球児のそれにそっくりなのだ。

 これは一体なんなんだろう、と思いましたね。パートのおばちゃん達にとってのスーパーの売り場は、球児達の神聖なグラウンドと一緒だ、という経営者の独創的な理念なのだろうか。または、「売り場にお辞儀をすることは、お客様へお辞儀をするのと一緒である」みたいな、独特すぎる接客哲学でもあるのだろうか。

 どちらにしても、あれはちょっとおかしいよね。やってる方も、「忙しいのにめんどくさ」という感じで、いかにも機械的にこなしているし、こちらもそんなタイミングでお辞儀なんかされても別になんとも思わない。売り場の外に出る度にいちいちこれをやらなければいけないのだから、作業効率的に考えてもまったくいいことなしである。

 それに、ぼくなどは自分の親ほどの年の人にクルッ、サッ、てやられたりすると、逆にすごく申しわけない気持ちになって、こういうのは根本的になにかが狂ってる、と思ってしまいますね、はい。

 あれを見て、「ふむ、このスーパーマーケットは教育が行き届いていてヨロシイ」なんて、いちいちエラそうに思う客なんかいるんだろうか。いや、むしろそんなヤツのご機嫌を取る必要はないのだ。

 あーいう、誰のためにもならない過剰なサービスや決まり事を作るのが日本人は得意な気がする。

 洗練された礼儀作法や、高いホスピタリティは世界に誇れるレベルだと思うが、もう少し合理的に考えてもいいんでないかい、と思う出来事のひとつであった。  

by nagamineshunya | 2013-04-09 22:08 | 箱根板橋日記

第16回 「味覚と記憶。悩めるバターごはん中毒者の考察」 2013年4月2日

 よく人間の味覚は子どもの頃に食べたもので決まるなどと、庶民には絶望的で救いの無い話を聞く事がある。

 自分の舌の味覚能力に関してはよくわからないが、味の好みは、習慣や記憶、環境にかなり左右されるのではないだろうかと、かなり前から感じていた。そして、それこそ数値化出来る味覚というのとは別の、いわゆる「味」というものの本質なのではないかと思っていたのだ。

 僕が小さい頃家でよく食べていたもので、今思うと「あれ?」と思うメニューの中に、「バターごはん」というものがある。

 茶碗に山盛りにした炊きたて熱々のごはんの中に、箸でバターをぐっと押し込み、醤油をまわしかける。それをバターを溶かしながらぐちゃぐちゃとかきまぜて、冷めないうちに一気に食べる。

 コツは特にないが、炊きたてのごはんじゃないと圧倒的にウマくない。

 これは大体、家に父親と二人きりの時で、お互い腹がへっていてなんでもいいから今すぐ食べたいという空気の時に、父親が「バターごはんにするか?」と聞いてきた気がする。

 保護者である父親がめんどくさいわけだから他におかずなんかは何も無い。しかし、腹がへっている時の男同士というのは、こういう時いかに子どもといえども細かい事は言わないのだ。ひたすら、このバターごはんだけを食べる。

 熱々のごはんにバターがとけ込んで、それに醤油がじわっとなじんだ所をハフハフと口に搔き込んでいく。これが子どもの空きっ腹に実にウマかった。

 しかしこれ、今思うと随分下品なメニューだよね。もし今初めて出会ったらちょっとたじろぐかもしれない。

 でもね、僕は今でもたまにこれを食べたくなるんですよ。

 で、最初の話に戻るわけだけど、これはまさに「習慣」と「環境」によって作り上げられた胃袋の「記憶」なのではいかという事ですね。

 少し細かく説明すると、まずバターごはんを食べるときというのは常に空腹と言う「環境」であるということ。これは非常に重要なポイントで、空腹という環境が最高のスパイスになり、バターごはんの実力以上のウマさを感じさせる幻覚作用を引き出している。

 この幻覚作用が「空腹時にバターごはんという」禁断の行為を繰り返させ「習慣」化する。

 それを今度は不幸にも僕の胃袋が「記憶」してしまい、腹がへるとグーと鳴り、バターごはんが欲しくなる。

 こうしてバターごはん中毒者の出来上がりということになり、その後いくつになっても中々抜け出す事は容易ではなくなってしまう。

 これは舌で感じる様な数値化できる味覚というものがいかに頼りなく、そして、いわゆる「味」や「好み」というものの大半は、胃袋や脳内麻薬的なものによって、個人の体験や経験などに左右されていて、その幻覚度や習慣性が大きければ大きいほどその影響は大きくなるということではないだろうか。

 これなら、子どもの頃食べたものが味覚に関係するというのも納得がいく。なぜなら、子どもの頃というのは慢性的にカラダが食べ物を激しく欲しているし、経験が少ない分、新鮮に感じる事が多いはずだからだ。

 つまり、思い切って言ってしまうと、「味覚は記憶である」と言えないだろうか。

 そして僕はその結果、今でもこの下品なバターごはんを大変美味しく感じているし、多分この先どんなご馳走を食べても、一生この下品な味は忘れられないのだ。

 皆さん、子どもには上品なものを食べさせましょうね。
 

by nagamineshunya | 2013-04-02 20:35 | 箱根板橋日記