『箱根板橋日記』毎週火曜更新|長嶺 俊也 Nagamine, Shunya デザイナー 1979年生まれ         


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第33回 「歩きスマホ ぼやき男」 2013年7月30日

 さて、今日も更新が大分遅くなってしまった。

 毎週火曜日更新と、うたっておきながら、火曜日も残り二時間を切ってしまった。まったくだらしがなくて申しわけない。

 先週は、なんだか政治がらみのぼやきでスカッとしない(いつもしてないけど)話しだったので、今日はなるべくそういうラインにいかないように気をつけたい。

 で、なにをさっきから前置きばかりをベラベラ書いているのだ(変な言い方だな)と言われますと、なんというか、まぁ、何を書こうかまったく思いついてないのでありますな。

 あ、そう言えば、この間テレビを見ていたらこんなニュースがありました。

 なんでも、歩きスマホが大変危険というニュース。

 わかります、わかります。あぶないですなぁ、あれは。

 向こうからやって来て、絶対気がつかないだろうなと思っていると、やっぱり気がつかない。

 しょうがないからコチラがよけると、あられもないほど驚いたりして、なんだかあれではコチラがわざとおどかしたようではないか。あんだよ、まったく。

 しかし、普段から酔っぱらってふらふらと夜道を歩いている身としては、あまりその事に関してとやかく言いたくない。お前はどうなんだ!と、すぐに我が身に返ってきそうだからね。

 そのニュースで笑ったのが、どこかの市で歩きスマホ対策会議みたいなのをやっていて、その席で市長が席から立って、本気で取り組みましょう的な開会の挨拶的な事を言ってた事である。

 確かに危険だが、そんな事を市役所の中で話し合ってどうするんだい。せいぜいポスターが出来るのがやっとではないだろうか。「歩きスマホ ダメ絶対!」「ちょっとまて そのツイートが 命取り」

 それとも、歩き煙草の時のように条例でも作るのだろうか。

 歩きスマホをしていると、どこからともなく変な蛍光グリーンのゼッケンみたいなのと揃いのキャップなんかをかぶった老人たちが、どこからともなく現れて取り締まる。確かにあれはけっこう怖いからなくなるかもしれない。

 どちらにしても、税金を使って歩きスマホの撲滅運動をするのはやめてほしいなぁ。

 あ、「歩きスマホをやめないと、税金使って対策しちゃうぞ!」っていうのが、一番効果があるかもしれない。

 あ、またぼやいてしまった。

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by nagamineshunya | 2013-07-30 23:18 | 箱根板橋日記

第32回 「選挙とタブーと国民」 2013年7月23日

 ずーっと変わらないモノの中に、選挙というのがある。

 変な言い方だな。

 何が言いたいかというと、例の政策ではなく、ただただ己の名前を連呼するだけのおバカな選挙運動は相変わらずであるな、と言いたいのである。つまり、文句が言いたいのである。

 中にはご丁寧に「投票用紙には、〇〇 ××(そいつの名前)とフルネームで書いてください!」なんて車に乗って拡声器で言ってまわってるのがいて、窓から瓶でも投げつけてやろうかと思った。恥死にしろ!

 政治家というのは、選挙で落選すればただの人なので必死になって「運動」しているのだろうが、ただの人からすると落選されて仲間入りされるのもいい迷惑なので、政治家になりたいヤツは勝手になればいいと思う。ただし自費と自力で。

 国民だってそんなエライやつなんて少ないんだから、政治家に多少問題のあるヤツが混ざってたって、国民も我慢すればいい。あれ、この辺ちょっと論旨が怪しくなって来たな。

 変わらないと言ったが、今回は選挙運動でのインターネットの使用が解禁になったらしい。いわゆる、ネット選挙というやつである。

 大体、なんで今までダメだったのかも疑問な所だが、つまるところこういう所にもかなりバカバカしいレベルの社会的エライ人たち=おじさん達へのタブーが隠れているのだろう。

 テレビはいいけど、ネットはダメ。わかんないからダメ。クリックするとお金とられそうでこわいからダメ。ダメダメダメ。「あんなのはダメだ」、みたいな。本人わかってないって言ってるのにね。

 いつから日本人は新しいものを合理的に判断するのが苦手になったのだろうか。

 新しい物に飛びつかないというのは、ある種の知恵とも言えるがどうもそれは老練という雰囲気で、あまり行き過ぎると思考停止のガラパゴス国民という事になってしまうのではないだろうか。

 そしてそこに社会の序列や、利益構造等が絡み合うと、すぐにタブーが生まれて、空気で縛る。タブーこそは思考の停止で、空気というのは支配である。あー、やだやだ。なんだか嫌な話になって来たので、今回はこの辺で終わろう。

 で、結局何が言いたかったかというと、原発事故関連も、憲法も、TPPも、色んな問題がもう少し若々しい代謝のいい元気な国民になって「ガシガシ苦労して乗り切ります!だから、タブーなしでどんどんいっちゃいましょう!」みたいになるとまた違うんだろうなぁ、と思ったりしたのでした。

 多分、タブーを打ち破るのは、元気しかない気がするのだ。しまった、これではアントニオ 猪木議員みたいではないか。

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by nagamineshunya | 2013-07-23 19:39 | 箱根板橋日記

第31回 「墓マイラーの独白」 2013年7月16日

 先週の日曜は、お墓参りに行っていた。

 おじいちゃんと、妻のお母さんと、妻と私の四人が基本的なレギュラーチームで、これにたまに妻の弟夫婦が加わる。

 お墓は、山奥の市営墓地にあって、私の運転するおじいちゃんの車に乗ってみんなでそこへ向かう。

 ややこしいので、先に説明しておくが、ここで登場しているおじいちゃんは実は血縁関係にはない。

 戦後、若い頃に妻の祖父が経営している鉄工所に出入りしていた機械技師だったところを、気に入られスカウトされて入社して来たのであった。

 つまり、本当の祖父にスカウトされたおじいちゃんで、血縁はないのだが、その後公私ともに妻の家と強いつながりで結ばれ、妻のお母さんなどはこのおじいちゃん夫婦に面倒を見てもらっていた事があるほどらしい。

 そんこともあり、今でも毎週日曜の買出しと、年四回のお墓参りは家族の行事としてこの四人で常に行っている。

 話を戻すが、墓地には妻の祖父のお墓と、このおじいちゃんの家のお墓と二つある。

 いつもくるまを止める所から、山の傾斜を下るほうに妻の祖父の方のお墓、長い階段を登る方におじいちゃんのお墓がある。相模湾が一望出来る、素晴らしい眺望だ。

 実は、このおじいちゃんには跡取りがない。

 数年前、私と妻がまだ結婚したての時にその事を相談された。

 おじいちゃんが、私の妻に自分のお墓の面倒を見てほしいと言ってるという事だった。それならばと、おじいちゃんのお墓はうちで面倒を見る事にして、市役所への手続きを済ませた。

 だから、妻の祖父のお墓は、妻の弟のお墓だが、おじいちゃんのお墓はうちのお墓でもあるのだ。

 
 それにしても、日本人はお墓参りが好きだ。

 お墓参りをする人が減ったとは言うものの、まだまだみんなせっせとお墓の掃除をしている。

 沖縄などだと、そのあとみんなでお墓の前にゴザを敷いて、バーバキューやらカラオケやらでひとしきりどんちゃん騒ぎをして、ご先祖様と楽しむそうだ。なかなかいい話なのだ。

 私自身は、妻と結婚するまで、あまりお墓参りをした事がなかった。

 最初はどうすればいいのかもわからずに、見よう見まねで石をこすっているような状態だったが、今では年四回のヘビーマイラーなので、大分自信もついて来た。

 そして、次第にその良さもわかって来た。

 お墓参りというのは実は自分のために行っている気がするのだ。

 季節ごとに自分の生活を振り返り、戒め、目標を定める儀式なのだ。

 と言っても、ぼくの場合「また最近飲み過ぎているな」とか、「とにかく健康だからいいか」とか、「この間あんな事でまた怒ってしまった」とかひとしきり反省することばかりが心に浮かんで来る。

 それでも、そのあと、「よし、次のお墓参りにはちゃんと報告出来るようにがんばろう」と、決めることができる。それが気持ちいいのだ。


 多分、お墓参りに来る人々は少なからず私のようにご先祖の前で手を合わせ目をつむり、心の中でまさに独りで反省をしているのではないだろうか。

 そして、このように大人が自然と素直に普段の反省を出来る空間というのは中々ないのであって、それこそがお墓参りの醍醐味なのではないかと、私は思うのだ。

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by nagamineshunya | 2013-07-16 17:48 | 箱根板橋日記

第30回 「とりとめもなく、30回」 2013年7月9日

 ブログを書くようになって、三年以上が経った。

 最初は、独立をして仕事のない暇な時間と、それに比例してつのる焦燥感を忘れるために、まずは何か外へ向けて発信して自分たちを知ってもらえることをやっていこうというビジネス的な理由で書きはじめた。

 コンテンツとしてはその頃は「食」が圧倒的に人気だったので、内容はその頃新刊がでるのを心待ちにしていた、いしいしんじさんの「ごはん日記」をベースに、敬愛する椎名誠さんの週刊文春での連載「赤マントシリーズ」のエッセンスを混ぜたような感じ、写真はマガジンハウス社の雑誌「クウネル」風と、ようは自分の好きな物を混ぜこぜにした感じでやってみようと思ったのであった。

 その日の出来事と、ごはんの献立、ごはんの写真、たまにその他の写真、という風に内容を決め、忙しくて更新が滞ってためてしまっても、とにかく毎日一年間は、一日の抜けもなく記事を書くという目標を自分に課した。その代わり文字数は自由にして、献立と写真だけでもOKなど、少し手を抜けるようにした。

 名前は、当時タニタの社員食堂が火付け役となって、色々な会社の社員食堂が注目されていた事から、自分たちの食事だって夫婦ふたりの家庭内制手工業的超々零細企業だけど、仕事の合間に食べているのだから、うちの食卓を社食と言ってしまってもいいじゃないか!だめかな、いいよね?どーせだれも読んでないし、となかばヤケクソ気味に『デザインこねこの社員食堂』と名付けた。

 スーパーのお惣菜や、デリバリーピザなど買ったものはのせないけど、飲みにいった時等は良くつまみの写真を撮ってのせていた。

 ぼくは大抵小田原の個人店の居酒屋に行く事が多かったので、そういうお店の情報というのは当時ネット上にもあまりなく、その手の店の愛好家の中では、影で割と重宝されていたようだ。自分の文章目当てではないのが不本意だが、それでもブログを訪れてくれる人が増えたのだから、これは当初のビジネス的な目的からいえば成功したと言える。

 しかし、この「毎日」というのは中々キツく、一年間はなんとか続けたものの、もともと行動範囲が狭いだけに徐々に身動きが取れないような感覚に陥り、震災直後の休載(書いてはいたが、アップは控えていた。後にまとめて掲載)などを経て、『続・デザインこねこの社員食堂』と名前を変えて、結局アップする事がある時だけの取れ高制にしてしまった。

 そうして少し楽になったものの、そうすると元々がバカに出来ているので、今度はすぐに物足りなくなって来て、椎名さんの赤マントシリーズ的な、ブログとしては結構まとまった量の文と、ペン画のイラストを組みあわせたコラムを週刊であげるという『魚の煙が目にしみる…』というのを試みたが、これは中々大変で3回程度で投げ出してしまった。

 そうだ、思い出した。いつ頃やっていたか忘れたが、『Hot Rat』という、好きな音楽のユーチューブの動画をひたすら貼り付けるという、今になると一体なにがしたかったのかも思い出せないブログもやっていた。

 それから、アマゾンのマイ・ページと連動させて買って良かったモノのレビューブログなどもやってみたが、これも十回程度でやめてしまった。

 そうこうしているうちに、『続・デザインこねこの社員食堂』もやめてしまい、今度は『続々・デザインこねこの社員食堂』というのを、今度はタンブラーに舞台を移し、ツイッターやフェイスブックとインスタグラムで連動させて、リアルタイムに更新していくという(この辺、わかる人にはわかりますね)、「一見カッコよさそうだが、ようは手抜き」というスタイルにした。

 これは今でもタンブラーで細々と更新しているが、やっぱり重さが違う分、面白味にかける。


 今回改めて前のブログを色々と見てみたが、よくもまあこれだけ色々とやってみたもんだ、それだけやはり随分と暇だったのだなぁ、と我ながら感心した。

 まぁ、こうして今もこのブログを書いているわけだから、暇に変わりはないのだが、個人的には中でもやはり最初の『デザインこねこの社員食堂』を書いていた時期が、一番苦しくも希望に燃えていた時代だったので、一番思い入れもあり懐かしい。

 その当時作った料理の写真や記事などを読むと、色々な事を思い出して来て、「あぁ、あの頃のような時の事を、『人生の一つの黄金時代』というのだろうなぁ」などと思い、我が人生にもそういう時があったのだと少しうれしくなってしまった。

 ああいう気ままなごはん日記をいつかもう一度書いてみたいなと思ったりもしたが、あの頃よりは確実に忙しくなり、日々追われるように生活している今書いたら、一体どうなってしまうやら。



 さて、そんなこんなで、実はこのブログも、今回ではや三十回目である。

 第一回は去年の十二月十八日とあった。

 ちゃんと更新出来るか自身がなかったので、いつでもやめられるように、世間の師走の騒乱のさなかに誰にも告知せずにコッソリと始めた。

 おかげさまで、そんな心配も一段落し、週に一回毎週火曜日に、どんなに更新の時間が遅くなっても、約七ヶ月間一応はまだ一度も落とさずに続けられている。

 引っ越しを機に始めたこのブログは、内容に関しては特にテーマもなく始めた。決めたのは、今までのように写真やイラストには頼らず、文章のみにして、縦書きにするということだけだった。

 写真や、イラストなしで毎週足を運んでくれる人がいるかは賭けだったが、一度やってみたかったのだ。おかげさまで、今の所約五人ほどは読者はいるような気配があるので、安心している。

  何のテーマもなく続けて来たこのブログだが三十回目をむかえるにあたり、最近少し思う所がでて来た。

 それは、読んでくれている人(またはうっかり読んでしまった人含む)の人生に、とりとめのない時間を提供できたらいいな、ということである。

 現代の忙しい高度情報化社会の中で疲れた時に、たまには人生に全く意味のない、面白くもつまらなくもない、読み終わったあとに一体何の話を読んだのかも思い出せないくらいとりとめのないような話で、頭をからっぽにリセットしていただけたら、それは一服の清涼剤のような…、言い過ぎか。

 ともあれ、今日で三十回。読みに来ていただいた方、ありがとうございます。もちろん、疲れてない時にもお待ちしています。

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by nagamineshunya | 2013-07-09 12:29 | 箱根板橋日記

第29回 「ラーメン屋の作法」 2013年7月2日

 幸せな人生には何が必要か。

 それは、家の近所にうまいラーメン屋がある事である。

 味については、いちいち何系だ、何麺だ、などと野暮なことは言わないが、とにかく自分がうまいと思うラーメン屋が近所にあるかないかというのは、その人の一生がシアワセなものになるかどうか、非常に論理的かつ確率的に重要なことなのである。

 なんとなく今回もかなりどうでもいい話になりそうだが、かまわず続けてみよう。

 少々飲み過ぎた二日酔いの日など、体調が回復してきた昼頃に、無性にラーメンが食べたくなってくる。

 そんな時に、近所に自分の好きなラーメン屋があれば、うまく仕事の合間が昼ごろになるよう調整して、ちょっとサンダルをひっかけてラーメン屋まで、というのが可能なのだ。あの時の一口目のスープがうまいんだよなぁ。

 
 ラーメン屋にはチケット制のところと、店員が注文を取りに来てくれるところがあるのだが、ぼくは、チケット制はどうもシステマチックで好きになれない。

 カウンターにチケット置いて、品物が運ばれて来るのを待っていると、自分の金で食べているのに、なんだか配給を待っているような気分になるのもあまり気分がよくない。

 だから、僕はもっぱら店員が注文を取りに来てくれるお店に行くことが多い。

 しかし、最近はチケット制のお店が増えたせいか、そういういわゆる一般のラーメン屋での注文の仕方がなっていない人が多い。

 こういうラーメン屋の場合、客は暖簾をくぐる前にすでに注文を決めておかなければならない。

 店内に入って、席に尻をつけてから壁に貼ってある短冊メニューをぐるっと舐め回し、いかにも集中力がなさそうな仕草で卓上メニューをちょびっと触ってみたり、また店内を眺めてみたり、時には隣の席の食っているものを首を伸ばして覗き見したりしているようなオジサンがいるが、ああいうのはイケナイのです。

 男というものは、ラーメン屋に行くと決めた時には、すでに「よし、今日は味噌チャーシューにするぞ。誰になんと言われても俺は味噌チャーシューだ!」と、自身の目的を明確に持ち、店内に入って店員と目が合ったら即座に「味噌チャーシュー一つ!」と、簡潔かつ明瞭な発音でスバヤク注文しなければならない。

 もし席に着くまでに店員と目が合わなかった場合は、店員を捜してキョロキョロとうろたえたりせずに、店員が水を運んで来るのをまち、水の入ったコップをテーブルに置くのと同時にスバヤク注文するのが好ましい。

 店員が水を運んで来てもまだ注文が決まっておらず、その後に「スミマセーン」などと、遠慮がちを装ったマヌケ声でかなり強引に自分の席のところまで店員をわざわざ呼びつけるオジサンがいるが、そんなの席から「味噌チャーシュー一つね!」と、闊達に厨房に向かって叫べばいいのである。

 この手のオジサンに限って、やっと注文したと思ったら、しばらくしたらいきなりなんだかモジモジと焦りだし、小ちゃく手なんかあげたりして、店員がそれに気付くと、「あ、ごめん。さっきの醤油に変えられるぅ?」などと、言ったりするのである。バーロー、お前は醤油飲んでろ。


 また、最近増えてるのがメニューに書いてないことを、堂々と発注する輩である。

 やれ、麺を堅めにしろだ柔らかめにしろだ、野菜ラーメンは味噌で作れるか、ニンニクは抜いてくれだの、モヤシを増やせだの、一体お前は何様なのだ。

 やり取りを見ているとどうも一見のようで、どうやらこれも昨今流行のラーメン屋のスタイルをそのまま他の店でも通しているようだが、まったくいい迷惑である。

 客になったからって、人間いきなりそんなにエラくなるものではないのだから、メニューからおとなしく選べ、なのである。


 ここまで来たらついでだから言ってしまうが、客として一番バカヤローなのが、色々なラーメン屋を食べ歩いて、イッチョマエに「味」についてブログなんかに書いたりする輩だ。

 こういうやつらは、なんの実績もない素人のくせにラーメンの味について主観で語り、あくまで個人的意見ですと前置きすればなんでも許されると思ってる勘違いヤローなのだ。

 しかも、おしなべてコミュニケーション能力も低いので、実際に店主に話を聞いたりせずに自分の推測だけで、材料や、作り方などを、なぜか断言的な書き方をしたりするから怖い。

 実際に、知り合いのラーメン屋もまったく知らない間に記事にされ、チャーシューに使っている肉の部位も、作り方も間違って書かれていた。

 他にも、覆面調査気取ったバカや、ミシュラン気取りで勝手に「★」をつけてるアホなど、きりがない。

 まったく、ちょっと色々な店でラーメンを人より多く食べているくらいで、どうしたらその道の専門家気取りが出来るのか理解に苦しむが、料理人に敬意のない人間は、ラーメンが好きだろうがなんだろうが、そんなものに何の権利もないので、こういう行為はすぐさま止めてほしい。

 もちろん、お店に敬意を払った上でラーメンブログやっている人もいるが、そういう人はまず匿名で書いたりしない。

 前述した人たちは、ぼくが見た限り全員匿名。

 やはりこういう問題の根本はネットの匿名性というところにあり、ネット文化が長くなって来た分、だいぶ自分を見失っている人も増えてきたようだが、それによって被害を受けている人がいる事もわかってほしいものだ。

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by nagamineshunya | 2013-07-02 12:26 | 箱根板橋日記