『箱根板橋日記』毎週火曜更新|長嶺 俊也 Nagamine, Shunya デザイナー 1979年生まれ         


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第59回 「ゆるくない、ゆるキャラデザイン」 2014年1月28日

 ゆるキャラのデザインというと、やはり熊本県の公式キャンペーンキャラクター、「くまモン」だろう。

 小山薫堂さんがプロデュースし、画期的な版権の仕組みと(熊本県の許可がおりれば、誰でも無料で商用利用できる。個人で楽しむ範囲なら無料)と、計算しつくされたキャラクターデザインで一躍ゆるキャラ会のトップに躍り出た。

 デザインはグッド・デザイン・カンパニーの水野学さんがデザインした。

 親しみやすいキャラクターデザインをロジカルに作り上げ、最後の仕上げは微妙に表情のちがうくまモンを壁一面に並べ、どれがベストなのかを検証する。

 ゆるキャラだけど、その制作はゆるくない。

 その辺のことは、メディアでもかなり取り上げられたので、デザイナーや広告業界以外の人でも知っている人は多いのではないだろうか。

 くまモンの場合は、そうした画期的な版権の仕組みがプロデューサーの意図として背景にあるので、そのすべてを含めてキャラクターデザインといえるだろう。



 ゆるキャラをデザインする場合、まずその定義とはなんなのか。

 それに関しては、実は「ゆるキャラ」という言葉を生み出したみうらじゅんさんが以下の条件を明確にあげている。 


 1 郷土愛に満ち溢れた強いメッセージ性があること。

 2 立ち居振る舞いが不安定かつユニークであること。

 3 愛すべき、ゆるさ、を持ち合わせていること。


 2、3はヴィジュアルや、演出にかかわってくる部分なので、デザインの着想のスタートは1の「郷土愛に満ち溢れた強いメッセージ性がある事。」という条件になるだろう。

 なるほど、くまモンは熊本の「熊」で、熊本弁の「〜モン」という言葉を使ったネーミングが郷土愛に満ちあふれていて、しかも元は「熊本サプライズ」というキャンペーンのおまけとして生まれたので、その驚いた表情には「熊本サプライズ」のメッセージがしっかり表されている。



 さて、未だに全国でゆるキャラが洗濯機の中の泡のごとく出現しては、あっという間にグルグルと忘却の彼方に吸い込まれて消えている。

 見ていると、ゆるキャラなら市民の中学生や高校生からイラストを募集すればちょっと手直しすればキャラはタダで作れるし、もしかしたら大当たりしてくまモンみたいに人気者になって全国区になって、そうしたらお客さんがいっぱい来るかもしれない、今ブームだしとりあえずうちでもやってみない手はない、ぐらいのなんだか宝くじ買うみたいなやりかたで、さも立派な事業のようにやっているところが多い。

 こういうのは、そのゆるキャラのデザインのクオリティーがどうとかいう前に、仕事として間違っている。

 仕事をする時は、絶対失敗できない。

 いや、失敗して死刑になるわけではないが、少なくとも万全の準備をして、しっかりとしたパフォーマンスをし、最後の最後までとにかく結果が出るように努めるということが必要だ。

 そういう気持ちで取り組んでいれば、まず一番大事なデザインの部分を素人の公募にはまわさないはずだ。

 そこのコストを安くあげたって、スタート自体が失敗していればその先はない。

 それは、家を建てる時に、コストを削減するためになんの経験もない人間に設計を依頼するのかを考えてもらえば、その無謀さがイメージできるはずだ。


 
 もっと悪質なものがある。

 故・やなせたかしさんのところには、生前全国の200以上の自治体からゆるキャラの制作依頼があり、そのほぼすべてがノーギャラの依頼だったという。 

 やなせさんは、「ほぼ日刊糸井新聞」の対談の中でこの事について明かしていたが、キャラクターが好評で着ぐるみを作る予算は出るのに、自分は何でタダなのかよくわからない、しかし、とにかく自分は巨匠にはならないと決めていたので、どんな仕事でもやろうと思ってやってたから、まあいいのかな、と思ってやっていたらしい。

 実際にそうして生まれたキャラクターを、ノーギャラ依頼してくるような自治体の人間がちゃんと活用し、市民の忘却の彼方に消える事なく、いまでもご当地のゆるキャラとして愛されているだろうかと考えると、そんなことはないだろう。

 なんだかいたたまれなくなるが、いくらやなせさんのデザインだといっても、引き取り手がそのレベルではたぶんそんなものだ。



 ゆるキャラは、もうゆるくない時代なのだ。

 いつまでもゆるいままの自治体は、洗濯機の泡のごとく、市民の忘却の彼方に消えていくだろう。

 そして、くまモンの出現は、デザイナーにとっても、ゆるくないゆるキャラの大いなる提示なのだ。

 
 

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by nagamineshunya | 2014-01-28 18:03 | 箱根板橋日記

第58回 「ホスピタリティ・デザインと、エクスペリエンス・デザイン」 2014年1月21日

 原研哉さんのホームページのPROSPECTS(見通し等の意味)というページを読み返していたら、2011年6月の記事に「ホスピタリティ・デザイン」と「エクスペリエンス・デザイン」という言葉があった。

 どちらも、一昔前ならデザインの分野としてはなかった言葉である。十年一昔として、少なくとも十年前学生として美術、デザイン、学芸員の勉強をしていたぼくは、いずれの授業でも聞いた覚えがない。

 例えば、卒業して一年間美術館で働いていた時も、ホスピタリティの部分はその分野のコンサルタントが指導していたし、エクスペリエンスのほうに関しては、おもに学芸員が考えていた。

 しかし、そのどちらの分野も、今やデザイン的なアプローチが台頭してきている。

 つまりそれぐらい、どんどんとデザインの範疇は広がっているのだ。

 その理由としては、デザイナーには物事を整理する力があることと、最終的にモノ(ヴィジュアル)をつくる事が出来るので、ひとつのプロジェクトを最後までぶれずにカタチにする事が出来る、という二点を備えているということが今の社会のニーズにマッチしていることが大きいと思う。

 思えば、アートディレクターというのが今のように花形になってきたのもこの頃からのような気がする。



 ホスピタリティは、日本人の場合は「おもてなし」の事といえば、だいたいのニュアンスはくみとれるのではないだろうか。

 ただし、最近ではこのおもてなしということの本質を理解している日本人も企業も非常に少ない。

 例えば、このホスピタリティの根幹を成すものはなにか。

 原さんもここで明言しているが、それは美意識に他ならないと思う。

 つまり、日本のおもてなしが、世界中のホスピタリティ産業をリードしているのは、日本人の美意識の高さに理由がある。

 それゆえ、美意識が低下してきている現代では、それを維持するのが難しくなってきている。



 海に囲まれ、川が流れ、森や山を望み、四季を感じることができる国土に育まれた感性こそが日本人の美意識の源である。

 そして歴史の中で、千利休のような才人が全国でバラバラに生まれた原初の感性をまとめ、整理し、それをイノベーションして新たな価値をつけ、ヴィジュアルを提示し、新しい作法(ルール)をつくり、名前をつけ、「侘び寂び」や、「もてなし」という文化として昇華した。

 そういう意味では、利休はまさしく「おもてなし」を生んだアートディレクターといえる。



 もうひとつの「エクスペリエンス・デザイン」だが、これもまだまだ聞き慣れない言葉だ。

 直訳すると、「経験をデザインする」という感じだろうか。

 つまりは、どんな経験をするかをデザインするということになる。

 観光、イベント、飲食店など様々な所であてはまることだ。

 ゲストにどんな体験をしてもらうか、何を経験させるかをデザインする。

 これもまた日本人ならおもてなしという言葉である程度理解できてしまうような気がする。



 そう、つまり「ホスピタリティ・デザイン」しかり、「エクスペリエンス・デザイン」しかり、日本人にとってはさほど理解するのに難しいことではないのだ。

 ただ、ではそれを実践することにかんしてはどうかというと、これはさっきもいったように厳しい状況に直面しており、この現状を打破するためには自分たちの美意識をしっかりと自分の中につかまえておく必要がある。

 それは、マニュアルのように、ただおぼえたことをするだけの、その場限りの知識ではなく、それを日々の暮らし、生き方の中で丹精こめて実践していく必要がある。

 そうすることで、いつも自分の中につかまえておけるのである。

 そして、そこまで出来れば、逆に頭であれこれ考えず、心で考えれば、それなりのおもてなしはできるのである。

 そういったことをわかっておかなければ、おもてなしとは名ばかりの、おしつけ型のうるさいだけの「過剰サービス」や、逆におもてなしに固執するあまり、ゲストのことを考えなくなってしまう、決めつけ型の「マニュアルサービス」となってしまう。



 では、日本人のおもてなしとは、具体的にどういうところにいけば残っているのだろうか。

 京都か、帝国ホテルか、宮内庁か。

 なんとなくそんな所が筆頭であがるのだろうと思うが、ぼくは田舎の農家のおばあさんや、海っぺリの漁師のおじさんや、離島の三線の名人のおもてなしが大正解だったりするのを、経験的に知っている。

 そして、それは見ず知らずの人間への無償の労いであり、厳しい人生を生き抜いて来た人の持つ、明日は我が身、情けは人のためならず的な助け合い精神が昇華されたものであり、限りなく慈悲深く、そしてもてなされる人間の心に、とても滋味深い「おもてなし」なのである。

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by nagamineshunya | 2014-01-21 11:32 | 箱根板橋日記

第57回 「三途の川、みんなで渡ればこわくない」 2014年1月14日

 最近、妻がフラフープが欲しいというので、ネットで外国のエクササイズ用という大人用のものを買った。

 妻は、それを屋上で洗濯物を干すついでに練習しているのだが、いっこうに上達せず、一回も腰のあたりで回転を続けることなくすぐにだらしなく地面まで旋回しながらおちていく。

 馬鹿にしていたら、やってみろというのでやってみたのだが、これが中々難しい。

 まず、フラフープ自体がむかしの中が空洞で軽い単なるプラスチックの管だけではなくなっていて、オレンジの管の表面にところどころグレーの柔らかいクッションがついていている。

 直径も大人用だからか、かなり大きい(外国人用なのかもしれない)。

 手に取ってみるとフラフープにしてはけっこう重く、クッションのところも微妙に流線型などに波打っていたりして、即座に「あっ、これちょっと無理だな」とわかるぐらいエクストリーム系のニオイを感じさせる上級者向けのフラフープなのである。

 案の定、ぼくも一回も出来なかった。

 小学生の頃はどうやってやっていたっけなどと、なんとか感覚を呼び起こそうと思ったが、どうもそんなレベルでもなさそうで、練習しても出来るようになる自信はないし、別に出来たくもなかったので、自分の方の赤樫木刀素振りにもどった。

 妻には、ぜひ、がんばってもらって、あのエクストリーム系ドデカフラフープがブンブン回るのを見てみたいものだ。


 
 最近、改めてボブ・マーリーやボブ・ディラン、ビートルズを聞いているが、不思議と聞こえて方がちがう。

 年を取って耳が遠くなってきたか、それともボケがはじまってむかしのことを忘れてしまったのかもしれないが、なんだか新鮮な気分で聞けるのだ。

 父親がこの「3B」のCDをもっていたので自然と聞くようになり、ぼくにとっては小学生の頃から好きなアーティストトップ3で、中学にあがった頃にはクラスの後ろに張り出す自己紹介の紙にすでに好きなアーティストとして書いていたほどだ。

 音楽の聞き方というか、つきあい方で大きく変わったと思うのは、最近は歌詞カードをめったに見なくなったことだ。

 作り手には申し訳ないがただ単に面倒になったのと、あとはそんなに人の言葉が必要じゃなくなったのかもしれない。

 中学生の頃は、1960年代〜70年代の洋楽をよく聞いていた。

 どんな歌の歌詞でもアーティストのメッセージで、そこに表現があるのだぐらいに意気込んで翻訳を読んでいたし、必死で発音を聞いて、その言葉の響きと意味の中にその歌のイマジネーションの世界を作って入り込んでいた。

 いろいろな歴史的背景や、いまや時代の記憶の一部となった昔のカルチャーやムーブメントもその中で知り、ぼくにとっては新鮮で刺激的な世界だった。

 今思うと、ぼくはまだその時はその音楽たちに酔っていたのかもしれない。

 あまりの刺激に酔っぱらっていたのだ。 

 いま、30代も半分くらいになって来て、やっと純粋に、素直に音楽として聞けるようになったのかもしれない。

 昔好きだった曲を、改めて「いいなぁ〜」と、しみじみと思うのだ。

 もしかしたら、その曲を聴いていたときの若い自分の記憶が気づかないうちに脳内で何らかの作用をしていて、郷愁感的脳内信号を出しているのかもしれないが、そこのところまでは本人でもわからない。

 なんにせよ、原因は年をとったことにあるだろうから、またもっと年を取ったらわかるのかもしれない。



 この間、細川元総理が東京都知事選に出馬の可能性があると報道があって、まさかと思っていたら、あっさり出ることが決まったようだ。

 細川さんと言えば殿様であり、若いときは白洲正子にかわいがられ、やはりその筋の素養があったのか、総理を辞めた後は湯河原に窯をかまえて焼き物ではそれなりの値段がつくようになったらしい。

 最近は油絵の方にも力を入れていると聞いていたので、残りの人生はもうそっち方面の追求をとことんやるのかと思いきや、どうもちがったようだ。

 野田さんが総理だったあたりから、ちょくちょく出て来て、あれはてっきり白洲正子の旦那さんの白洲次郎さんばりのカントリー・ジェントルマンを気取っているのかなと思っていたのだが、どうもへんな色気を感じていた。

 その時は元総理となると、影響力が強い分よほどきめ細かい気遣いが出来ないと、そういうことをするのも難しいものなんだなと思ってみていたが、どうやら色気の方が正解だったらしい。

 ぼくは、政治の背景とか政局的なことはわからないけど、正直なところ安倍さんに続いてまた勝手に途中放棄した人間が出てくるのか、と思ってしまった。

 政治屋というのは随分自由な家業である。

 人生はやり直しがきくものだとは思っているが、筋を通さなければそれなりのリスクは負うはずだ。

 選挙は、細川さんが思っている以上に、そこが争点になる気がする。

 しかし、舛添さんという人はつくづくツイテナイというか、かわいそうになってくる。

 せっかく一人勝ちできそうで、今度こそ都知事になれるかと思ったら、また色物が出て来てしまったんだから(前回1999年の都知事選では石原さんが出てきて負けた)。

 たぶん、ほとんどの人は細川さんの総理時代に何の記憶もないと思うけど(というか憶えているのかな)、小泉さんと会談するというセコイ手段をいっぱいニュースで宣伝してるので、負けてしまうかもしれない。

 いずれにしても、舛添さん65才、細川さん75才、その他の立候補者のみなさんも年を取っていろいろとわかったことや、感じ方がかわったものがあるのだろうから、選ばれた人は若者に負けずにぜひがんばってもらいたい。



 高田文夫さんが大滝詠一さんや、やしきたかじんさんが亡くなり、友達がみんな亡くなっちゃったとなげいていたが、年を取ればそのうち「三途の川、みんなで渡ればこわくない」という感じになるのだろうか。



 

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by nagamineshunya | 2014-01-14 18:43 | 箱根板橋日記

第56回 「自動政治ロボット『国会くん』」 2014年1月7日

 前回、「酒懐石」なるものを勝手に作って遊んでいたら、その後どうやら「会席」という字の方の会席料理は、お酒を楽しむための料理らしいということがわかって、ナーーンダという感じである。

 懐石の方はルーツは一緒だが、お茶を楽しむためのものらしい。

 だから、「酒懐石」というと、なんだか緑茶割を楽しむ料理みたいな感じになってしまう。

 無知とは怖いものだ。


 懐石料理とはもともと千利休がお茶を美味しく飲むために、お茶を出す前に出していたカンタンな食事らしい。

 しかも驚くことに、もとは一汁三菜を基本に考えられたらしいのだ。

 一汁三菜といえば、カンタンにうとご飯、お吸い物、おかず三品(焼きもの、煮もの、酢のものなどの質素なやつ)に、お漬け物である。

 これで最後にお茶を飲むのが懐石料理であるならば、うちのおふくろも毎日懐石料理を食べている。

 実際はそこにはおもてなしのための様々な精神や、それにならった作法などいろいろあるのだろうが、基本は質素な侘び寂びの世界のものなのだ。

 だから、伊勢海老が偽装されていても怒ってはいけないのだ。

 蒸し返したねぇ、オレ。



 それにしても、去年はなんだか世の中がわさわさしていた気がする。

 ミュージシャンの若者が選挙に立候補したり、俳優の若者が選挙に立候補したり、おもてなしの倍返しで都知事が辞職したり、秘密を保護するという変な名前の法案でみんながこわがったり、よくわからない一年だった。

 秘密保護法案は中身が決まってなくて、与党の政治家もテレビで説明できないのがおかしかったが(頭が)、気持ちの悪い出来事であるのは間違いない。

 ぼくは、「規制」とか、「強制」とかという言葉が大嫌いな「あまのじゃく」で「反抗的」な性格なので、必要性が何であれ市民の生活や、文化表現、報道のレベルまで対象になるのなら大反対だ。

 核の問題にしても、自衛隊や憲法九条の問題にしても、こういう時にすぐに「外交」という言葉をちらつかせるが、知ったこっちゃないのだ。

 そんなに国民より外交が好きなら、外国に行け!と思うのだね。

 

 しかし、本当に思うのだが政治というのはこうして我々にはよくわからないうちに日々大河のごとくうねりながら進んでいるのだ。

 原子力発電所にまつわる、様々な問題もそうだろう。

 事故機の廃炉に関する問題や(ぼくは、廃炉の問題に関しては建築家の宮本佳明さんの〜荒ぶる神を鎮める〜という、原子炉建屋を神社にして、未来永劫土地の記憶として丁重に祀るという作品のアイデアに賛成)、オリンピック招致のときの汚染水に関する安倍総理のうそっぱち宣言問題(六年後に遮断壁のすぐ外の海でバタフライする安倍総理を見てみたいものだ。その時に総理じゃなくなってても逃げんなよな)、外国への原子力発電所の輸出、線量の健康被害の基準値や、人体への被害の実態、食品の安全性に関する事などの調査や公表のしかたなど、すべてのことが決められて、あたりまえに進んでいる。

 これは、市民は自分で情報を仕入れて政治参加または、自己防衛をしなきゃだめだというにはあまりにハードルの高い仕打ちではないかいと思うのだが、こんな国でいいのだろうか。



 原発でいえば、もうひとつ恐ろしかったのは、先日あった高速増殖炉「もんじゅ」への外部からの不正アクセスのニュースである。

 もんじゅのコンピュータが外部から不正にアクセスされ、結果コンピューターウィルスに感染しメールなどの事務書類が流出したという報道であった。

 しかし、これは不正アクセスなんて言葉から感じるなまぬるいレベルではなく、ハッキングというやつではないか。

 キャスターの男性は、もんじゅの存在自体の問題に関してだけさらっと触れて終えていたが、実はかなり危険なテロ行為だったんじゃないだろうか。
 
 原発というのは自然災害や人的な事故以外にも、テロや戦争の標的としても充分に危険なのだ。

 

 さて、あけましておめでとうの新年第一号であったが、ずいぶん暗い内容になってしまった。

 年が明けたということは、あの震災から、あの事故からもうすぐ三年が経つということだ。

 この国の国民は賢くて勤勉で思慮深いので、原発事故の放射能の問題でもおとなしく各自考えて努力し、また反省もした。

 そして成長したのだ。

 政治家よ、だからあんまりなめてると、そのうち猪子さん率いるチーム・ラボあたりが、自動政治ロボット「国会くん」とかを作ってしまうかもしれないぞ。
 
 そうなったらもう君たちに用はないのだ。

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by nagamineshunya | 2014-01-07 16:46 | 箱根板橋日記